勇ましい起業家像は本当に必要なのか?ましてや社内起業で

2019.02.17

「他にいくところがなかったんです」起業、生きるということ」に記載しましたが、私自身は結果的に行くところがなくて起業の方向に向かったというのが実際です。文中でアリババのジャックマーさんも同じようなことをいわれておりますね。

どうしても引っかかる勇ましい起業家像

「崖から飛び降りるような」「強い想いが」「何が何でもやりたいことが」「強い情熱が必要だ」と、起業に関しては非常に勇ましい起業・起業家像が各所で語られていると思います。私自身が「全く違った」し、多くの人をメンタリングする過程であまりそういう人に会ったことがないという事実も踏まえて・・

勇ましい起業像は事実と異なるのではないか?

といつも強く思っております。そして、過去に自分自信も頑なに「勇ましい起業像」を信じていたという事実もあります。

時系列の問題を考えてみる

起業とは異なりますが、社内起業でも実はこの「勇ましい」というものが足かせになっている気がしております。時系列だと思うのです。確かに起業の場合は「サバイブ(Survive)」というのがかかってきますので、気合的なものは必要には思えます。でも、それって最初からなのでしょうか(究極には生まれたときから起業!なんて人がいたらそれはすごいですけど・・)?最初はそうではなくて、だんだんそうなったという気がしてならないのです。確かに、ある程度時間が経ったら強い情熱は必要です。が、それって、数ヶ月、いや、場合により数年、数十年単位で醸成されたものではないかと?

最初は、安全な範囲で十分じゃないか?

自分自身も「起業=自己破産」に始まり、最初は小さなアプリを合同会社で知り合いと薄く数十万円のお金を出し合ってというところから(取れるリスクで行動というまさにエフェクチュエーション!!)始まっております。教育がまさに「遊び・情熱・目的」の順序を通るようにそうやって、いつか「気合」的な状態になるのではないでしょうか?だったら、初動の障壁をわざわざ「勇ましくないと駄目だ!」と高くする必要がないように思うのです。

安全の範囲で、できることをベースに行動する

これで十分じゃないですか?

特に社内起業側で問題になること

当初は「起業家」ばかりを相手にしていて、それでもそんなに気合の入った人(口では言うとしても)ほとんど見たこともありません。また、その後「社内起業家」を対応したときに大きな間違いがありました。起業(というか、起業してある程度になった)側からみると、どうしても社内起業家(候補)は甘くみえます。ましてや、初動で「確固たるやる気」がある「気合がある」というのは必須で「はいはいはーい!」と手を上げないなんてなんたることだ!そんな人間は勝てない。と思ってました。

しかし、事実は全く違いました。

多くの現在頑張っている社内起業家は最初は「気合が入っていない(と見える)」そのものでした。特にアイデアというか、がっつりしたプランぐらい持っているのが当たり前!というのもこれも全然違いました。

結局、時系列です。特に社内で新規事業プログラムを運営しているときは「採択されていない方」に本質的な社内起業家がいる可能性が高いのです。つまり何がしかの「Will(興味)」を持っていること。ただし、その「時点」では、「?」なケースが多い。

と、何が言いたいか?というと、この勇ましい起業・起業家像が将来的に、起業でも社内起業でもいいのですが、社会に貢献する事業家の芽を摘んでいるのではないか?と思うのです。ましてや、事業は「チーム」で行うものであり、特にリーダーである必要もありません。

今一度、我々は自分たちの考えを見直すときだなぁと思っております。

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