01Blog / 屈辱に耐えて未来を掴む「日本で起業家として生きるということ」

2016.07.02

「起業家が尊敬される国にする」と口で言うのは簡単ですね。日本自体は起業家は必ずしもリスペクトされないという点があります。まぁ、これは仕方がないですね。その原因はなんなのか?というと、単純に知識不足を指摘する声もあります。単純に起業している人が少ないですので、多くの場合、夢物語(空想の産物)というところでしょうか。

じゃ、どうやったら尊敬されるようになるのかに関して考えてみます。尊敬されるという目的は、一つの生き方の選択肢として好ましいということですね。

起業という選択肢の方が良い時代になったし・・

起業は所詮、手段の一つですよね。何をやりたくて、それに最適な方法は何か?と考えるべきだとは思います。でも、実際はどうなのかなー?最近は、既に企業内で長い経済停滞もあるので社内起業は圧倒的に難しいというのが私の印象です。そもそも、大きな組織ではイノベーティブな事は日本に限らず難しく、そこに長い経済停滞なので、色々見るに、それだけのパワーを使って社内調整するのであればバリバリの設備産業以外であれば「自分でやった方が早くないか?」と思えたりします。

「いや、リソースが、とか、これはここではないと」という意見はよく聞くんですが、それも兼ね合いですよね。時に辞めた方が客観的に良くないか?という人がかなーりいます(もちろん、必ずしもではないです能力もあるので)。これだけの悶々人材を会社の中に放置して置くのは流石に勿体なくないか?と思ったりします。

結論は自分が起業で成功し、リアルな言葉で語ること

英雄になってはいけないと思います。それでは「自分」が凄い事になってしまいますね。事業を創ることが素敵なんだということ、それをリアルに語るしかないかと思います。後は「起業が楽しそうなこと」。それが尊敬されたり、やりたい人が多いのは「楽しそうで」「いいことがありそうで」とかなんでもいいので、インセンティブが必要だと思うんですよ。後は、確かに企業のリソースも凄いですけど「結構、世界は変えられますよ」と伝える必要があります。

屈辱はすごい

しかし、初度の屈辱は確かに凄いですよね。そもそも、ビジネスモデルがはっきりしないので、何かもがいている上に、人にも厳しく当たられる。こんなことありましたね。

散々、根掘り葉掘り聞かれた上に「ウチの名前を使いたいわけねー?」と差別的薄ら笑い。当然何も起きない。いや、あんなのは忘れませんよ。。

某地銀の方に、色々、情報を聞かれて、では、説明に行きましょうか?と言いましたら「オタクの会社何人?」「それではちょっと・・」とお金を貸して欲しいという要求は一切していない(要望も無い)のですが。。

連絡してもメールの返信がないのは当然当たり前で(まぁ、相手もよくわからない人には返さないでしょうが)、逆に相手の質問には早急な回答を求められるというような、一方通行は日常茶飯事。

これらの話はいくらでも書けますが、まぁ、これぐらいで。最初から慣れている人はいいんでしょうが、下手に大手から起業すると、これが大変。慣れて耐性が付くのに、1-2年かかりそうです。自分の社会的・個人的実力を知るには良い機会でもあります。

起業したことのない人への抵抗感

これは前期も踏まえて非常に強いなぁと思います。屈辱の裏返しでしょうか。決して良くないことなんで、起業系の人が気をつけないとならない点でもあります。仕方ないです。自分たちが変わるしか無い。誰かを蔑んでもあたっても誰も幸せにはしないですね。

多分、フラフラしている頃は「自分を認めて欲しい」という要求。それが時に、人を蔑む事になるかも知れない。成功しだすと、今度は相手を見下してしまうのも良くないですね。誰もが自分の心のインセンティブに従って生きているのであって「事業の成功にこそプライドを持つ」ということを忘れてはいけないと思います。

特に地域では表に出てこない

話は変わりますが。。これは地域でよく聞きます。実は結構な成功者は居るんだけど表に出てきたがらないというところ。やっかみはありますよね。でも、それって意味があるんですかねぇ。どうやったらそういう貴重な存在が表に出てきて話してくれるのでしょうか。

時間はかかるが実績で語るしかない

時間はかかりますよ。でも、実績で語るしか無いかと思います。結局は判断軸なので。何をもって判断するかという軸がないと相手もそれを良いのか悪いのか判断できないですね。

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