01Blog / 顧客ではなく自分のニーズを満たすケースが多いのは何故か?

2017.01.16

存在しない顧客を発明してはいけない」というブログを前に書き、少なからずのご反響を頂きありがとうございました。

久しぶりに様々なこれから事業を立上げていく人の話を聞いて思ったのは、顧客ではなく自分のニーズを満たす(これは自分が欲しいというのであれば n=1 でもニーズはあるのですが)モデルが非常に多いというところです。

主語が誰なのか

これは結局のところ「顧客が」を主語としたものではなく「自分が」とか「自社が」とかいわば「自分または身内が」どうかという話なのかとも思えます。つまり顧客がその話に出てこないイメージですね。こちらがこう思うから、顧客はそれを必要とするはずだという論理です。これが9割。

これは教育事業とかに多いですね。例えば子供にビジネスを教えたい。それを望んでいる子供も居るでしょうが、実際には「教えたい自分のニーズ」を叶えている点です。これはよーく聞かないとわからない(あたかも顧客の声に聞こえる)のですが、極めて多いです。あるいは当初は「仮説」なのでそんなもんなのかもしれませんが。つまり、常に「顧客のニーズなのか自分のニーズなのか」を自分に問いかけないと、おおよそ、人は自分のニーズに応えだすのかも知れません。

スタートとゴールが異なる

仮定したスタートとゴールが異なれば間をどんなにロジック的におかしくなくても結局上手く行かないというイメージでしょうか。つまり、存在しないストーリを仮説する(発明している)感じでしょうか。なんでそんなことが起こるのか?ですね。

そもそも現象と原因が合っていない

これは私も含めてなんですが、ある現象に対しての原因を短絡思考して、ゴール設定してしまい、そこに向かって事業を行おうとするケースです。例えば、ビジネスができないのは子供の教育が悪いとして、子供に教育を考えますが、実際には親がビジネスに長けていないと、そもそも、子供だけ良くなるということはおかしい。つまり、そのアクションを打っても結果に繋がらないようなものです。

顧客の発明が起こるのは何故か

久しぶりに冒頭のブログで元にした「中国4.0」を読んでみました。これは国家の話なんですが、ここで原因は大きく3つ

  • ある内向きのコミュニティ
  • 何かでそのコミュニティに生じたフラストレーションを解決(解消)する矛先が求められる
  • その結果、感情が論理を支配し、かつ、クローズドコミュニティなので、ガバナンスも効かず、顧客不在で顧客が発明される

というイメージですね。これは「これまでこんなにやってきたのに!」「様々な理由で窮する」「プライド」「現実からの自己逃避による妙な楽観論」などによって、現実を感情が歪めてしまうということですね。

いやいや、我々は冷静だ、と思うかも知れませんが、誰にでも生じることだと思います。今一度・・

  • そのニーズは自分のニーズなのか、顧客のニーズなのか
  • 都合の良い顧客を発明していないか
  • 感情に流されていないか、そもそも何が必要なのか?その行動はそれにつながるのか?
  • 同じコミュニティ(うるさいことを言ってくれない人)で安堵していないか

を常に自分に問いかける必要があるかと思います。

・・・