01Blog / コミュニティファースト時代に日本は生き残れるか?

2018.08.14

少し古い記事ですが「【佐渡島庸平】「コミュニティ・ファースト」の時代が来る」があります。面白い記事です。

生きた情報はひたすら飛ばない

01Boosterにいると様々なコミュニティの方々と付き合います。あくまで「事業創造」という軸はありますが。その結果、一つ思うのはものすごい情報の乖離です。もちろん、我々(または誰かが)がなんでも知っているというよりは「本当に何も知らない」と思うことの方が多いです。

例えば、地域の場合、行政や地域新聞などの情報の中におります。これをコミュニティ?ともいえないところではありますが、そこに人のネットワーク(コミュニティ)はあります。特に閉じる傾向が強い日本文化の場合、ある地域でトップになってしまうと、別の地域では誰も知らないか、海外ではもっと知らないけど、足元では「有名」となりますね。これは事業創造の地域格差、国の格差(少なくとも日本は国のレベルで経済規模から見てもっともっと事業創造への行動が必要とは思いますが。。)をかなり形作っているようにみえます。

さて、各コミュニティには生きた情報がありますが、コミュニティとコミュニティの間ではかなりの情報遮断(遮断したいと誰かが意図的に思うというよりは自動的に遮断状態になる)があります。一方で、デジタルで「ある解釈の入った」情報は飛ぶ(また、場合により英語や中国語が日本語になって、解約がずれる)、かつ、これを見る・見ないの差も出る、また、非言語は飛ばないので、とにかく、情報格差が開きます。これを目の当たりにすることは多いです。よほど意識して他国を見に行くか、交流でもしないとひたすら凝り固まってしまいます。

問題は認知のところかと、情報が流れているようで、思ったよりずっと知らないという認知の間のギャップですね。

弱い紐帯の強さは弱さへ?

マーク・グラノヴェッターの弱い紐帯理論は有名です。簡単にいえば、ある強いコミュニティとコミュニティの間を結ぶつながりです。「「弱いつながり」の誤解と本質──社会ネットワーク研究の世界」に色々まとめがありますので、ご興味ある方はご一読を。コミュニティ毎に情報は遮断されている傾向が強いですので、この弱いつながりは有用な情報をもたらします。

一方で、今の世の中ではこの弱い紐帯がインターネットの登場で増えすぎて、誰が正しいのかわからなくなってしまった?という感じではないでしょうか。そうなると、より、信頼できるコミュニティが重要になる方向に行きそうです。

コミュニティ・ファーストの時代に生き残れるか?

信頼できるコミュニティとはなにか?当然、コミュニティの中ではフリーライダー的な人・集団は嫌われるでしょうし、悪口(建設的批判は歓迎でしょうが)も嫌われるでしょう。では、なんでも信じられる少数ととなると、今度はイノベーションの観点が弱くなります。外部ともつながっていく必要があります。

コミュニティ・ファーストの時代にはそのコミュニティの価値を上げることに個々が尽力しないとなりません。例えば、大手とベンチャー連携であれば、この関係者全員のコミュニティへの個々の貢献です。大手側もそうですし、ベンチャー側もそうです。その結果、コミュニティの価値も上がって、自分たちも利益を得ていくという構造(与贈循環)ですね。これはなかなか難しいです。例えば、地域行政は当然、自地域ファーストです。これでは、逆方向に行ってしまいます(その地域しか世界が無いならいいですが)。構造の問題です。必要なのは「方向性(DirectionやVision)」。このDirectionに自分(個々)のWillが合っていれば生産性が高いコミュニティです。次にコラボレーションとコミュニティへの貢献。

我々はもっともっとコミュニティの重要さを認識しないとなりませんね。

自分の属する会社や集団だけではなく、ある方向に向かうコミュニティに貢献することが強く今後、求められて行くと思います。Give Firstという言葉もありますが、これはまさにコミュニティ・ファーストの基礎ではないかと。

事業創造に対して熱い想いを持たれている方、この界隈に携わったことがある方もない方も、ご興味のある方はぜひ一度遊びにきてください。特にゼロワンブースターもテクノロジーシフトのため、エンジニアを募集しております。

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