日本だけ博士課程が減るのは課題です「低学歴社会の罠」

2018.11.03

すべてを海外の基準で考えるとはおかしいとは思います。一方で、自分たちの立ち位置も重要です。今は、2018年。まだ日本が世界で存在感が大きかった1980年代とは違いますので、ここは謙虚さが肝だと思っております。

博士課程が減る国

日本だけ減少…研究力衰退あらわ 7カ国調査」日本では博士課程の方が減っている非常に珍しい国です。これは日本の就職環境や研究環境にあるとは思います。しかし、複雑な考察をするだけの知見がまだありませんので、ここでは現象だけにとどめておきます。

研究が事業ではない、では、事業化できる研究だけで良いのか

様々な研究(これは理系でも文系でも、そもそも理系と文系を分けること自体なんだろう?というのもありますが、これはまた別にまとめます「文系と理系はなぜ分かれたのか」)が実業に結びつくのは偶発的・たまたまの要素が物凄くおおいのではないか?と思えるのです。要は、想定できない。いわば、研究は図書館に並ぶ本のようなものだと思うのです。それを想定されない人が読んで「なんたることか!」と応用する。こんな形なのではないかと思えます(イノベーションの肝の新結合、線形モデルではあい「線形モデルの終焉」)。となると、応用研究にも意義はもちろんありますが、基礎研究とはなんなのか?というところがあります。それは国力そのものではないかとも思えるのです。

高学歴社会と低学歴社会

博士しか相手にされない欧米、博士を必要としていない日本」にありますように、欧米では博士課程は重要です。もちろん、博士課程を取ればよいのか?という議論もあるでしょうし、博士を持たれていない方が素晴らしい成果を出しているケースもきっとたくさんあると思います。

もう一つの問題が実は日本は低学歴社会ではないか?ということです。「和田秀樹:「低学歴社会」日本の由々しき事態」にありますように、どこの大学を出たがが日本では重要。一方で、どのレベルの教育を受けたかが重要だということです。後者の方が本質的だとは思えませんでしょうか。日本では偏差値の高い大学を出たことが重要であり、博士課程よりもということでしょうか。

我々はシステムが変わっていることを本気で考えるとき

ドイツでいわれました。

日本はなになに大学と組んでいることが企業には重要で、どこどこ研究室ではないと。

これは結構な課題です。私は本質的というのであれば学校名よりも研究室や何々先生が重要だと思います。もちろん、これは過去の社会システムにはマッチしていたのでしょうが、これからはどうでしょうか?

良い大学を出て、良い会社に入るということが良い時代があったのは確かです。

今はどうでしょうか?

先日、あるメガバンクの方とお話しておりました。日本のトップ校でも、トップの方は起業に向かうそうです。日本は変化に敏感な実は若い人から変わってきているのかもしれません。かくいう私も欧米の定義では完全な低学歴な人間です。もっともっと勉強し、真理を追求する必要があると切に感じております。

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