前提は極端に違う
ベンチャー企業、中小企業、大手企業、研究者、海外勢、、そして、会社一つとっても階層の違い、など様々な人とお付き合いしていると「前提の違い」に直面することが多々あります。
実はこれは01Boosterのような比較的同じ様なビジョンに共感した人が集まった社内でも大いに有りえます。「事業創造」とは何か?全員が全く同じ考えを持っているか?というと違うでしょう。
例えば「イノベーション」という言葉一つとっても人によってその解釈はバラバラ。技術系・研究系の人は「技術革新」と思うかも知れないし、技術に依らずに単純な売り先(顧客市場)の変化もあります。
日本語には主語がない?
ここで一つの文化の特徴があると思います。日本語は主語が曖昧な文化です。Wikiによると、
日本では、江戸時代末期から明治にかけて西欧文法の知識を導入したとき、その文法を手本にして国文法の体系化を進める過程で定着した。
なんと、明治までは主語自体の概念も怪しかったと。これには一つ、特徴があって、聞いたことがあるのが「お疲れ様」というと、皆が疲れてしまうというものです。なので、この表現を禁止している会社もあるようです。つまり、主語が明確ではないので、皆が「お疲れ様」になってしまう。一方、主語がはっきりしていれば「あなたは疲れている」「私は疲れてない」となります。つまり日本では、
同質の意識を持っていると思いやすい
ということだと思います。この結果、高度に組織が社会化されているという意見もあるし、一方で、日本では、誰もが同じように考えていると勘違いしていると海外で指摘されることもあります。
問題は物凄く前提は違うということ
常識ってなんだ?という考えもありますが、いわば、起業の世界での常識というか共通的な認識と一般の会社のそれが大きく異なったりします。ときには真逆だったり。ただ「違うんだ」という認識はとても低いので、様々な課題が生じます。
究極には人間は経験したことしかわからない
人間はここでまた、自分の知識(知っていること)で判断を下そうとします。となると、経験者側からすると(その前提も常に疑う必要がありますが)、これはないなぁというのもあります。
失敗の科学
「失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織」という書籍は私個人としてはとても推奨します。いかに、人間が前提やストーリーに縛られるか、そして認知不協和の虜になるかですね。
常に「相手の言葉で」前提を合わす努力、自分の前提が間違っている、または異なっていることを常に意識することが重要