今の日本はイノベーションが興せず、生産性が低く、日本の雇用(終身雇用・年功序列)も限界で、パートナーシップ型(会社に雇用してから何をするか決める)からジョブ型(仕事内容で人を採用する)へ移行という話がよくあります。果たしてそうなのか?ですね。
だから日本は・・(ネガティブな意味で)
という話をよく聞きますし、私としては日本の雇用のど真ん中を経てきておりますので「まさに!」と思う部分も「感情的には」多いのですが、冷静に考えると本当にそうなのか?と思うことがあります。あるいはちゃんと考えないと間違った打ち手を打つことになります。
特に最近は私を含む中高年への風当たりも強く(涙)、課題も多いのでしょうが、真の原因よりも、わかりやすいターゲットを持ってきて原因を単純化しているようにもみえます。では、中高年が良くなればすべて解決なのか?というと多分、違うでしょう。
小熊英二さん「もうもたない!? 社会のしくみを変えるには」という記事にサマリーがあり、詳しくは書籍(日本社会のしくみ)を読めばわかりますが、100%正解かはともかくとして、短絡的に「日本はこうだから、こうしよう」というのは必ずしも良い結果を生まないのではないか?ということです。多くの場合、その国のおかれた場所、歴史背景、近代化の程度によって雇用制度が決まってきており、特にそれが日本古来の文化でもない場合も多く、日本型のシステムも有効であったし、また、日本型雇用(ここでは終身雇用と年功序列とします)といわれるものも日本全体ではなく、およそ全体の20-30%(大手企業)の話でもあります。
「安心社会から信頼社会へ」という書籍があります。様々な実験を経て、社会の信頼や安心と取引や機会コストの話をまとめてあります。短絡しますと、元々、日本は(正確には日本の20-30%は)安心社会(つまり取引コストをひたすら下げてきた、信頼ではなく、そこで何か問題を起こすと制裁的な状況になり、人を信じているというよりは、約束を守るような社会の仕組みになっていた)であった、これが限界にきて機会コスト(つまり同じ仲間で取引し続ければ安心で取引コストは安いですが、他の機会を失うので機会コストは上がる)が課題になってきたとも思えます。
つまり、
「取引コスト(安心社会)>機会コスト(信頼社会)」が「機会コスト>取引コスト」へ
詳しくは書籍を参照ですが、これらを総合して考えると、我々に必要なのは開かれた社会関係資本(安心から信頼へ)であると改めて思います。